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仕事の話

 前の職場で、元バーテンの女性がいた。

都内の一等地にある高級なバーに勤めていたらしい。

飲食業に興味があり、そういった専門学校に進み卒業後はそのバーに就職したそうだ。

 

そのバーはとても格式が高いので、先輩にもかなり厳しく仕事を教えられたと言っていた。

「入社した日にトイレ掃除を済ませた後先輩に呼び出されて、『おまえこのトイレ舐めてみろ。できないだろ?だったら掃除やり直せ。自分で舐めても大丈夫って思えるまで掃除しろ』って言われるぐらい」というエピソードを、誇らしげに語っていた。

そのときのことは今でもよく覚えている。

彼女のテンションと私のテンションがあまりに違いすぎたことを、だ。

物の例えというのはわかる。べつにその先輩も本気で言ってるわけではないのだろう。

だけど私は、入ったその日の新人に、「トイレを舐めてみろ」なんていう人、先輩としてぜったいにすきになれないと思う。

伝え方があまりに乱暴だ。

けれど彼女はその乱暴さや厳しさを誇りだと思っているのだ。

 

常々、『仕事は過酷であればあるほど尊いものだ』という風潮を強く感じてきた。

お国柄なのかもしれないが、海外で仕事をしたことがないので、もしかしたら世界的にもそうで私が無知なのかもしれない。

それはひとまずおいておいて、仕事って過酷でないといけないのだろうか。それって変じゃないだろうか。

以前にも自分の勤めている職場がいかに過酷でその労働環境に苦しめられているか嬉々として語っている人がいた。

私がべつの事務所の先輩に職場での不満や疑問を語っていたら、横から「うちなんてもっとひどいですよ!」とくるのである。

残業時間の長さ、社長の横暴さ、有休所得の難しさ、いかに性格の折り合いのつかない同僚がいるか、などなど…

そんな環境でもへこたれずにがんばっている自分はすごい、そういう等式なのかもしれない。

 

だけどやっぱり釈然としないのだ。

会社というのは8時間労働だとしても、睡眠時間を除くと自分の生活の半分かそれ以上を過ごす場所である。

そこが厳しくてつらいって、ぜったいにマイナスでしかない。

退職までの相当な年月をひたすら耐えなければいけないなんて、ざっくり言って地獄だろう。

 

べつにミスを見過ごせばいいとは思ってない。間違いがあるなら正すべきだし、厳しくする場面も必要だろう。

でもやみくもに厳しいことを良しとする風潮が気持ち悪いと思うのだ。

厳しくてつらい環境は変えた方がいいに決まっているし、多くがそうであるようにその職場がそう簡単に変えられない場所であるならば自分が変わる必要があるはずだ。

その形は様々だけれど。

私も仕事はとてもすきだったけれど職場の人と決定的に合わなくなり転職したクチだ。

それは堪え性がないからだと笑う人がいるかもしれないが、私は8年間その職場で踏ん張った。

最後のほうは体調に影響が出るほどだった。

けれど身体を壊してまで、頑張り続けるほど仕事や職場って大切な場所なのだろうか。

自分の健康な身体や健全な精神を差し出すほどに?

 

仕事に限らず『厳しい自慢』を聞くたびに、やっぱりその疑問が頭に浮かぶ。

『厳しい』=『えらい』という価値観が一般的でなくならないかな。そうすればもうすこし、生きやすい世の中になる気がするのに。