子どもの頃の話

3月も目前になり、春が近づいてきた。

近所の沈丁花が綻んでいたので、においをかいでみた。

あまずっぱくて懐かしい香り。『あぁ、春だなぁ。』そう思った。

三寒四温とまではいかないけど、三寒二温くらいにはなってきたかな。

つくしを見るのが待ち遠しい。

 

私は小学生時代、学童に通っていた。保育園も市外の民間のところに通っていたので、幼馴染のような存在が近所にいなかった。

学校での友達はいたけれど、3年生まではずっと学童にいたので、放課後友達と遊ぶということがあまり定着してなかった。

そんなわけで、学童を卒業してからは、週に3回習い事をしていたのだけど、それ以外の日はとても暇だった。

テレビを見たり、ひとり遊びしたりには限界があった。

とはいえお金もない、遠出するにも方向音痴故に土地勘がない。そのため、近所の原っぱで遊ぶことがほとんどだった。

 

私が当時住んでいたのは集合住宅で、棟ごとに庭がついていた。おもしろいもので、棟ごとに庭もすこしずつ違っていた。

だだっ広いただの原っぱが庭の棟、実のなる植物が生えている庭の棟、庭がない代わりに公園が面している棟、小ぶりの木がいくつも生えている庭の棟、庭が鬱蒼とした針葉樹林に囲まれている棟。

その中のひとつに、日当たりが良くてつくしがたくさん生える庭があった。

団地に住んでいる他の人は滅多に取らないので、当時の私はその伸び放題のつくしを無心でとり、袴を取り、炒めたり卵とじにしたりして、夕飯に並べていたものだ。

つくしに限らず、むかごやのびるをとるのもすきだった。庭のどこに食べられる木の実があるかも知り尽くしていた。ゆすらうめや桑の実、キイチゴ。道はたいてい、植えてある木やそこに生えている花で認識していた。

 

ただ、春が過ぎるとその庭はただの原っぱになってしまうので、私は主に木のたくさん生えた庭にいた。

その庭には芝の他にクローバーも生えているのだけど、四つ葉のクローバーがわんさか生えるスポットがあったのだ。

四つ葉にとどまらず、五つ葉六つ葉もごろごろ見つかるので、無我夢中で探した。見つけたものは家の広辞苑で押し花にして、イラストを描いて一緒に貼り付け、ブッカーでしおりをつくって家族や友達にあげていた。

なにより、見通しのいい原っぱは一人で遊んでいるのが目立つから、その庭の木に登って隠れて遊ぶのだ。建物自体も端にあったし、庭が建物で隠れていて周りから見えないのも居心地が良かった。

木に登って、その上でマンガを読んだりお菓子を食べたり昼寝したりしていた。春先や秋は木の実がなるので、近所でしこたま集めて周り、木の上でもくもくとひとりで食べていた。

アクティブなのかインドアなのか…今思えば変な子どもだったと思う。

 

さすがに冬は自分の家で遊ぶことがほとんどだったが、春になると団地の庭に繰り出した。

私の住んでる市の花が桜で、団地に限らず市のそこここに桜が植えてあるのもよかった。

春になるとその花を見ながらうとうと昼寝をするのが本当にすきだった。

スーパーファミコンゲームボーイがわりと当たり前になっていた時代なので、そういう遊び方をする友達は近所にいなかった。

たまにおもしろがってついてくる友達もいたけれど、私がしていたような遊びは数回もしないうちにたいてい飽きられるものらしい。

私もお小遣いやお年玉を寄せ集めてゲームボーイカラーを買ったことがあったけれど、やっぱり家の中ではなく木の上でやっていた。

 

ほとんどの時間をひとりで過ごしていた子ども時代だったけれど、不思議なもので寂しかったという記憶もあまりない。

することがなくて仕方なく原っぱで遊んでいたのではなく、もともと自分はそういう遊びがすきで近所の庭をまわっていたんだろう。

今でも街中で子ども時代お世話になった植物を見ると、つい近寄っていってしまう。

よく自然が友達なんていったりするけど、私にとってはまさにそれなんだと思う。

もうすぐだいすきな春がくる。つくしを見るのが待ち遠しい。