花粉症の話
昨日の朝、突如花粉症の激しい症状に襲われた。
やらなければいけないことがてんこ盛りの日曜だったのに、鼻が止まらなくなり垂れてむずむずするわ、目がかゆいわ、喉が痛むわ、頭痛がしてくるわ、熱でぼーっとし出すわ、節々は痛むは…で、もうとにかく大変だった。
ふらふらしながら動き回り、目標としていた用事は2/3くらいしか達成できなかったが、むしろよくそこまでやったなというくらいとにかく大変だった。
死ぬほどツラいとはよく言ったものだが、こんなにツラいならいっそ殺してくれというくらいツラかった。
明けて翌日の今日。昨日ほとんどの時間マスクをしていたおかげがだいぶよくなった。
一応今朝は耳鼻科にも行き、お薬ももらったので準備万端。
毎年鼻水がすごくてということはあったけれど、こんな倒れそうになったのははじめて。
花粉症って毎年重くなっていくらしいし…今から想像するだに恐ろしい。
健康って大事だなぁと、しみじみ思った。
ところで昨日はそんな最悪のコンディションだったわけだが、夜はへとへとになりながらお酒を飲んだ。
お酒を飲むと鼻が詰まりやすくなるのでいかがなものかと思ったが、あまりにツラくて自棄だった。酒でも飲まんとやってられん、と。
その後、鼻が詰まることもなく、むしろ感覚がいい具合に麻痺したのかずいぶんと楽になった。
酒は百薬の長とは、まさにこれである。酒、万歳。
好みの話
先日付き合ってる人に「食べるのがすきなだけあって、ご飯が主題のテレビよく見てるよね」と言われた。自宅で一緒に録画したテレビ番組を見ているときだった。
これまで録画していた番組を思い返してみると、男子ごはん・孤独のグルメ・ワカコ酒・サラメシ・深夜食堂、などなど…確かにご飯に関するものが多い。
人に言われなければ、多分気づかなかっただろう。
色や形の好みは目に見えるから把握しやすいけれど、それ以外の好みって周りからの視線がないと意外と自分で気づかないものだなと思った。
ところで、その発言があってから改めて気づいたのだけど、マンガでも私は食べ物に関するものがすきみたいだ。
pixivコミックに登録しているのだが、グルメ系のマンガはほとんど目を通している。
ただそのグルメマンガの中でも、さらに好みがあることに気が付いた。
私は、『静かなグルメマンガ(ドラマ)』がすき、ということだ。
グルメマンガを見ていると、静かで淡々としているものと、リアクションをオーバーに描くものがあるように思う。これは食べるのがひとりか複数人かは関係ない。大勢で食べていても表現が静かなマンガやドラマはずっと静かだ。
おいしさを表現するために、キャラを赤面させたり目を輝かせたり涙を流してみせたりセリフにしろモノローグにしろ絶叫してみせたり…
とにかくうるさい表現方法のグルメマンガは、表現が拙い気がしてすぐに飽きてしまう。リアクションがちがうだけで言ってることにちがいが感じられないのだと思う。
淡々としているマンガは、大袈裟なリアクションはないけれど、料理の細かい描写とかキーワードが毎回ちがって感じられる。静かながら、料理へのすき具合が感じられる。
昨今は流行りなのか取材や準備に手間取らないのか知らないが、いろんなシチュエーションのグルメマンガが増えたと思う。
実在のお店に食べに行ったり、自分でもつくることができるレシピでキャラがご飯をつくったりして、それをマンガにするような形の。
ただいくら流行っているといっても、なんでもかんでもおもしろくなるわけじゃない。どんな作品もつくる側の実力差っていうのは出るんだなと思った。
まぁ、どちらが好みであるかはそれぞれだし、そもそもグルメマンガに魅力を見出せない人もいるだろうけれど。
そんな私のすきなグルメマンガは、ワカコ酒・山と食欲と私・終わりのち、アサナギ暮らし。
どれも淡々としてるけど(アサナギ暮らしはファンタジーなのですこし系統がちがうが)、ご飯がおいしそうで食べたくなる作品だ。
友達の話
先日最初の職場の関係で仲良くなった友達と、半年ぶりくらいに遊んだ。
その子の友達で以前遊んだこともある人も一緒で、3人だった。
そのふたりはちょくちょく連絡を取り合い、ご飯に行っているようだった。
以前は同業だったがお互い転職して、今はまったくちがう業界の人間になったのもあり、付き合う人もだいぶ変わった。
特にそのよく遊んでいる人の影響で、男性との付き合い方が劇的に変わった気がする。どちらかというと嫌な意味で。
パートナーがいる中で他の男性複数と関係するような、そんな感じだ。
まぁ、私の人生に影響はないしやめたらと言われてやめられるものなら最初からしていないのだろう。
不道徳という意味では自分のほうがよっぽど、ということもあるから口出しするつもりはない。
けれど奔放な友人の存在が、少なからず彼女の行動を助長しているような気もする。
久しぶりに会った彼女を見て、すこし距離を置こうという気になった。
友人って、毒にもなれば薬にもなる。
願わくば、彼女の周りに薬になるような人がいてくれますように。
テレビの話
テレビの地方特集なんかで、現地へ行った芸能人が様子を聞かれた際、お決まりのセリフがある。
「現地の人がみんなあったかくていい人でした!」
こういうセリフを聞くたびに、『そりゃそうだろ』と思わずにはいられない。
だってテレビの取材でしかもそこそこ有名な芸能人がきているんだもの。そりゃいい顔するだろうよ。
べつにそういう番組を穿った目で見続けているわけではない。
現地の人との会話をおもしろく聞いているし、行ってみたいなと思わされる。
強いていうならグルメ番組はほとんど信用していない。穿りまくった目で見ている。
数年前鮭の中でも貴重とされる幻の鮭、鮭児がテレビで取りざたされたことがあった。
これを食べてる芸能人たちは「おいしい~!」「口に入れた瞬間とろけるぅ~!」「ふつうの鮭と全然ちがう!」と口々に言っていた。
そんなにちがうのか、さぞおいしいんだろうなぁと私はときめくような気持ちで番組を見ていた。
その後、たまたま鮭児を食べる機会があった。
これが幻の鮭か!どんな味なんだろう!とわくわくした気持ちで一口食べて…
『ふつうのサーモンだ』
それだけだった。多少脂が多いというぐらいだろうか。
私が口にしたものとテレビ番組に出ていたものでは、品物のグレードがまるでちがうのかもしれない。
でも『とろける』とか『ふつうの鮭と全然ちがう』とか、まるでなかった。ふつうにおいしい鮭だった。
かくして、私の鮭児への憧れはあっけなく崩れ落ちていったのであった。
あくまで番組を盛り上げるためのコメントだったんだろうけど、視聴者の期待を過剰に煽るのはやめてほしい。
旅先の人の温もりも結局はテレビであり芸能人(有名人)ありきのもののはずだし、口の中に入れた瞬間とろけるのはアイスクリームかオブラートくらいなもんだ。
仕事の話
前の職場で、元バーテンの女性がいた。
都内の一等地にある高級なバーに勤めていたらしい。
飲食業に興味があり、そういった専門学校に進み卒業後はそのバーに就職したそうだ。
そのバーはとても格式が高いので、先輩にもかなり厳しく仕事を教えられたと言っていた。
「入社した日にトイレ掃除を済ませた後先輩に呼び出されて、『おまえこのトイレ舐めてみろ。できないだろ?だったら掃除やり直せ。自分で舐めても大丈夫って思えるまで掃除しろ』って言われるぐらい」というエピソードを、誇らしげに語っていた。
そのときのことは今でもよく覚えている。
彼女のテンションと私のテンションがあまりに違いすぎたことを、だ。
物の例えというのはわかる。べつにその先輩も本気で言ってるわけではないのだろう。
だけど私は、入ったその日の新人に、「トイレを舐めてみろ」なんていう人、先輩としてぜったいにすきになれないと思う。
伝え方があまりに乱暴だ。
けれど彼女はその乱暴さや厳しさを誇りだと思っているのだ。
常々、『仕事は過酷であればあるほど尊いものだ』という風潮を強く感じてきた。
お国柄なのかもしれないが、海外で仕事をしたことがないので、もしかしたら世界的にもそうで私が無知なのかもしれない。
それはひとまずおいておいて、仕事って過酷でないといけないのだろうか。それって変じゃないだろうか。
以前にも自分の勤めている職場がいかに過酷でその労働環境に苦しめられているか嬉々として語っている人がいた。
私がべつの事務所の先輩に職場での不満や疑問を語っていたら、横から「うちなんてもっとひどいですよ!」とくるのである。
残業時間の長さ、社長の横暴さ、有休所得の難しさ、いかに性格の折り合いのつかない同僚がいるか、などなど…
そんな環境でもへこたれずにがんばっている自分はすごい、そういう等式なのかもしれない。
だけどやっぱり釈然としないのだ。
会社というのは8時間労働だとしても、睡眠時間を除くと自分の生活の半分かそれ以上を過ごす場所である。
そこが厳しくてつらいって、ぜったいにマイナスでしかない。
退職までの相当な年月をひたすら耐えなければいけないなんて、ざっくり言って地獄だろう。
べつにミスを見過ごせばいいとは思ってない。間違いがあるなら正すべきだし、厳しくする場面も必要だろう。
でもやみくもに厳しいことを良しとする風潮が気持ち悪いと思うのだ。
厳しくてつらい環境は変えた方がいいに決まっているし、多くがそうであるようにその職場がそう簡単に変えられない場所であるならば自分が変わる必要があるはずだ。
その形は様々だけれど。
私も仕事はとてもすきだったけれど職場の人と決定的に合わなくなり転職したクチだ。
それは堪え性がないからだと笑う人がいるかもしれないが、私は8年間その職場で踏ん張った。
最後のほうは体調に影響が出るほどだった。
けれど身体を壊してまで、頑張り続けるほど仕事や職場って大切な場所なのだろうか。
自分の健康な身体や健全な精神を差し出すほどに?
仕事に限らず『厳しい自慢』を聞くたびに、やっぱりその疑問が頭に浮かぶ。
『厳しい』=『えらい』という価値観が一般的でなくならないかな。そうすればもうすこし、生きやすい世の中になる気がするのに。
家族の話
一人暮らしが長くなると、家族といる時間が短くなる。
私も一人暮らしをはじめてかれこれ6年目だ。実家の両親とは月に一度会えばいい、というくらいになった。
同僚や友達とも仲が良く、長年付き合ってる人もいるが、やっぱり家族と他人は決定的にちがうな、と思うことが先日あった。
去年、小学校時代の友人が結婚した。
母親も知っている子だったので、今度結婚式に出るという話をした。
そのとき母は私にこう言ったのだ。
「周りはどんどん結婚して行くのに…(あんたは)売れ残ったわね」
私は今年で32歳になる。
確かに周りにいる友達はほとんど結婚をしているか、結婚を控えている人ばかりだ。一度したけど離婚した、という人もいるけれど。
事実結婚の波に乗り遅れたし、もう若いと言える年齢ではないだろう。それは間違いない。
けれど、だからこそ、「それを本人に言うか!?」という、かなりの衝撃があった。
「ひどいこと言うね!」と笑って流したが、その言葉が出るのにちょっと時間がかかったほどだ。
私自身結婚願望はそこまでないし、母には真剣味が感じられないから軽口のつもりで言ったのかもしれない。
それでも私がそこそこ婚活をしているのを母は知っていたはずだ。結婚願望が強くなくとも、結婚したくないわけじゃないことも。
それなのに正面切って本人に言うなんて、まぁデリカシーというか気遣いがないと思う。
でもきっと、ずっとそう思ってたんだろうなとも思った。
そしてそういう言葉が出てくるのは、やっぱり家族だからなのだろうなと感じた。
よっぽど思いやりがない人ならともかく、他人にそんなこと言う人はまずいないだろう。
もしかしたら単純に、世代的なものかもしれないけれど…
家族と離れている時間が長くなるにつれ、同僚も友達も恋人も、結局は他人とばかり過ごすようになっていた。
気ままで楽しい独身生活は、同時に周りの他人の思いやりで成り立っているのかな、と思った。
家族は大事だが、とても近い存在な分、もしかしたら他人よりもずっと付き合い方が難しいのかもしれない。
ゲームの話
先日リリースされたスマホゲームを、配信当日からやりはじめた。
事前登録していて、とても楽しみにしていたゲームだ。
チュートリアルを見つつ進めているが、最初はわけがわからず困惑したものの、開始5日目だろうか。ようやく要領を得て楽しくなってきた。
ここのところはもっぱらそのゲームばかりしている。
自動プレイもできるので、画面を開きつつべつのことをしてることも多いけれど。
新しいゲームを手に入れると前のゲームをしなくなることが多い。
スマホを変えたのをきっかけに、3つほどゲームを消してしまった。
4月にも事前登録しているゲームが配信されるので、またこれがきたら手が止まるかな。
とはいえ通信規制もあるし、全部を全部全力でやるというのも限界があるからいいのだけど。
そうそう、最近のスマホゲームはとてもレベルが高くなったと思う。
FFのCGみたいに、スムーズにキレイな映像が動くので驚いた。声優さんも豪華だ。
無料ゲームの質が上がることで楽しい時間を気軽に味わうことができる時間が増えて嬉しい反面、その業界がそれでやっていけるのかどうか、若干不安ではあるけれど…