魔女の宅急便の話

今日早朝から、姉の予定の関係で甥っ子が我が家に遊びにきていた。

私も昼前には出かけてしまう予定だったので、せめてもということで出掛ける前は甥っ子の相手をしていた。

 

最初はトランプで遊んでいたのだが、ふたりでは限界があり早々に映画鑑賞に以降。

甥っ子のリクエストで『魔女の宅急便』を見た。

私はジブリ映画がすきで、ハードディスクにもほとんどの作品を録画し残しているのだが、魔女の宅急便を見るのは久しぶりだった。

いつも大掃除なんかのときにBGM変わりにつけているので、見ているといえば見ているが、ながら見なのである。

 

で、改めて見てみての感想なのだけど、当たり前だけどすごくよかった。

もう何度も見ては自分のことのように共感し、心をぎゅっとさせられ、泣いてしまっていたけれど、今回ちゃんと見てまたうるうるときてしまった。

序盤のワクワク感と不安のソワソワ感。

中盤の楽しさのすぐあとにくる落ち込み。

その後の葛藤とその解放。カタルシスとは、まさにこれである。

 

しみじみといい作品に、思わず涙していたのだが、甥っ子にバカにされるのではないかとこっそり涙をふいた。

小学1年生の男の子には、魔女の宅急便はひたすら娯楽映画であるだろう。

涙なんて見せたら笑いものである。

そう思いパッと甥っ子を見ると甥っ子も泣いていた。

「よかったね…」「うん…」と言い合い終わった。

そうか、そういえばこの子平成狸合戦ぽんぽこのサントラをクリスマスプレゼントにリクエストし、「最後の歌を聞いてるとさ…思わずぽろっと涙が流れちゃうんだよね」と齢4歳にして言っていたのだったっけ。

情緒育ちすぎだろ。

まぁ、茶々を入れられずに見られたのはとてもよかった。

ひとりで見る映画もいいけれど、すきな作品はいろんな人と見るのがいちばん。そう思った。

甥っ子の話

春分の日、姉と甥っ子が遊びにきたので、父も含めて4人で買い物に行った。

父の誕生日が近いので、プレゼントを買いに行ったのだ。

帰り道、姉と父が話があるとすこし先を歩いていたので、私は甥っ子と一緒に帰った。

甥っ子は今小学校1年生なのだが、例にもれず『枝』がすきである。

道々歩きながら、枝を拾っては歩き、さらにいい枝があれば拾いかえる、といった感じだった。

 

私も小さい頃は枝がすきだった気がするのだが、今はもちろん汚いし邪魔だし拾おうなんて思わない。

枝がだいすきだった頃の気持ちが思い出したくなって、甥っ子に聞いてみた。

 「枝がすきだね、どうして枝がすきなの?」と。

すると、甥っ子の答えはこうだった。

「枝をもってると、涼しくなるから」

『涼しくなる』!?その答えに一瞬意味がわからなかった。

枝をもってると勇者みたいな気分になるとか振り回したくなるとか、そういうことじゃないかと予想していたからだ。

詳しく聞いてみると、枝をもってると風が枝にあたるから、風を感じて涼しくなる。だから今日みたな暑い日は特にいい、とのことだった。

もちろん甥っ子はこんな風に理路整然とは喋らなかったけれど、要約するとこういうことらしい。

なるほど、確かに枝をもつとふつうに歩くよりも風を感じるのだろう。予想だにしない答えだったが、言われてみれば納得ができる。

あと持ち手になるところがすこし曲がってるほうが持ちやすいとか、長さも杖くらいの自分の背丈にちょうどいいものがいいとか、そういう話もしていた。

 

けれど結局最後の最後で、「言われるまでなんですきかなんか考えたことなかったな」とのこと。

子どもの気持ちを思い出したいと思っていたけれど、結局『すき』って大きな理由もないんだな。

子どもも大人も、『すきなもんはすき』ってことだ。

でも大人になると、すきに理由を求めたくなるような気がする。

そのことを思い知らされた休日だった。

煙草の話

私はこれまでの人生の中で、一度も煙草を吸ったことがない。

ふかしたこともなければ口に含んだこともない。

べつに宗教的な理由や健康のため、という意識は欠片もなく、単純に周りに喫煙者がいなかっただけの話である。

父親は昔吸っていたらしいが私が生まれる前に禁煙し、母は嫌煙家だった。

そんななか姉はやんちゃをしていた頃吸っていたそうだが、私は煙草には一切興味がなかった。

 

おとなになり、一度も試したことがないなんて珍しいと友人に言われ、そういうものなのか、と思った。

たいていの中学生、高校生、大学生は、興味本位で口にすることがあるのだとか。

試しに吸ってみる?と、そのとき言われた。

年齢的になんの問題もなくなったそのとき、改めて煙草を吸うか吸わないか聞かれて、私は吸わないことを選んだ。

万一煙草にはまってしまったら、お金がかかってしょうがないな、と思ったからだ。

吸わないで済むのなら、べつに吸わないままでいいやと思った。私の煙草人生ははじまらずして幕を閉じた。

でも、死ぬ前に一度くらいは試してみたい気もするけれど。

 

さて、そんな吸わない派の私だが、べつに嫌煙家というわけではない。

一度街中ですれ違った人の煙草があたり火傷したことがあるので、歩き煙草をしてる人の火は水鉄砲で消して回るスナイパーにはなりたいと思っているが、べつに吸う人に対しての嫌悪感はない。

今付き合ってる人も、過去に付き合っていた人も、ほとんど喫煙者だったし。

やめられるならやめたほうがいいと思うが、煙草とは本来嗜好品なのだから、法律とモラルが守られているなら個人の自由というか、人の勝手、って感じだろう。

なのに最近では飲食店でも全面禁煙が当たり前になっている。可哀想だなぁと思う。

周りへの健康被害が、なんていうが、分煙すればいい話だし、居酒屋で隣の人が煙草を吸っていることより、酔っ払いの知らないおじさんに絡まれるほうがよっぽど精神衛生面上よくない。

なんでもかんでも禁止にすることに躍起になるんじゃなくて、それぞれが居心地良い空間をつくるために奮闘したらいいのに。そんなことを思った。

文房具の話

去年の6月まで長いこと事務職員をしていたので、文房具に馴染みがある。

お気に入り・使いやすい文房具を各種取り揃えて自分用に机の上や中に確保していた。

 

いちばんすきな文房具は両面テープだ。

セロテープとちがって表面はキレイに仕上がるし、粘着力も強い。

細いもの・中くらい・太いものと、3種類くらいそろえておくのが自分としてはベスト。用途によって使い分ける。

ただ最近、テープのりに段々心奪われている。

 

次にすきなのはホチキス(ステープラー)。

仕上がりがキレイなのはもちろんだけど、針を刺す時の振動や音が心地よくてすき。

大量のレジュメをつくる仕事なんかは、単純作業でたいへんだったけど楽しい仕事だった。

針なしホチキスも活気的だと思う。

ただし、紙くずが出たり必要以上に紙を痛めるのがすきじゃない。やっぱりホチキスは針アリだ。

以前アスクルのオリジナルメーカーのホチキス針を仕事で購入したことがあるが、あれはよかった。

固めの感覚で針を刺すのにすこし力がいるのだが、ホチキス刺してる!という実感があってとてもすきだった。

 

円の形で切れるカッターとか、油性ペンとか、クリップとか、ギザギザの形に切れるハサミとか。

まだまだすきな文房具はあるけれど、私の二大巨頭は両面テープとホチキス。

最近はいろんな文房具が発売されているし、今度文房具屋さん巡りとかしたいなぁ。

結婚の話

友達が先日結婚し、式を挙げて新婚旅行にきていた。

友達は関西のほうに住んでいるため、都内での新婚旅行。近くにくるから会おうということになった。

式も身内だけだったのでその旦那さんとは会ったことがない。

なので挨拶がてら…と思っていたのだが、結局新婦と私とふたりだけのランチだった。

私としては緊張するので旦那さんがいてくれなくていいのだが、新婚旅行中に旦那さんを放置という事態はいいのだろうか、まぁいいか、という感じだった。

 

友人夫妻はお見合い結婚だった。そのせいもあるのかお互いに相手に対してドライで、淡々とした結婚である。

私も一時期婚活パーティに行ったり、紹介してもらったりしていたので、お見合い結婚に偏見はない。

職場以外はなかなか出会いがないものだから、出会えるものならどこでもいいと思っている。

それにしてもあまりにドライな関係なので、よく結婚しようと思ったなぁとは思う。

「そろそろ別れるかも」と言っていた矢先での結婚だったので、それはもう驚いた。

 

恋愛結婚は相手への期待が高い分、結婚生活がうまくいかない。

お見合い結婚は最初から相手への期待がない分、案外うまくいく、なんてドラマのセリフでたまに聞くけれど…どうなんだろう。

結婚生活のうちに相手に愛着も出てくるだろうし、人それぞれはもちろんだろうけど。

ただ、友達のその結婚をきっかけに、身近におもしろい例ができたなぁと思った。

ふたりの結婚を祝いつつ、行く末をおもしろおかしく見守りたい。

オタクの在り方的な話

私はマンガもアニメもだいすきな、いわゆるオタクというやつである。

男性向け女性向け関係なく気に入ったものは毎週見るし、何度も見たくなってDVDを購入することもあれば、アニメであれば原作を買うこともしょっちゅうだ。

ただ、私はアニメやマンガのグッズはほとんど買わない。

スマホまどマギのベベのキーホルダーとマミさんのソウルジェムをつけているが、身の回りを見渡してみてもそれくらいのものである。

 

ラバストとかチャームとか缶バッジとか、正直可愛さがよくわからない。

痛バとかたまに街中で見かけるけれど、正直景観を損ねるなぁとしか感じられない。

私がそれほど若くないせいなのだと思うけど、オタク趣味っていうのは元来隠れてひっそりとやるものだという意識があるからだろう。

あの自分のすきなキャラクターを大々的に宣伝する感じ、とても苦手である。

 

『推し』とか『自担』とかいう言葉もあんまりすきじゃない。

べつにどのキャラがすきだっていいじゃないか。たまにべつのキャラにふらついてもいいじゃないか。

他のキャラにちょっとでも現を抜かすとバッシングされる感じ、本当に息苦しい。

そしていかにそのグッズをもっているかですきという具合が図られるというのもなんだかな、と思う。

「これだけ貢いでるから私のほうがすき」なんて、お金や数値でしか愛情が図れないとは、オタク界隈というのもずいぶん即物的な世の中になったもんだ。

というか、なんですきな世界でまで他の人と張り合おうとするんだろう。

 

アニメやマンガコンテンツのグッズのなにがいやって、なにより使い道がないのがいやだ。

キーホルダーやチャームやラバストだって、そんなにたくさん使えるものじゃないだろう。実用性がないというのがいやなんだ。

いやいや、痛バはすべて使えてるじゃないか!と反論されるかもしれないが、あれは私の中では『使っている』とは言い難い。

たくさんもってることが愛の証明だというなら、私はきちんとひとつを大切に使うことこそ愛着がある証ではないのかなと思う。

まぁ、それも各々の感覚なのだしひとりでも張り合う人がいれば対抗したくなるのが人間の性なのかもしれないな。

 

とはいえ、私みたいに作品のグッズを買わないファンには「本当にすきなら公式にちゃんと課金しろ!」と思われてるらしいし、確かにお金使う方が作成者側にはいいお客さんなのだろう。

私があまり好まないキャラへの愛情表現も、作品のいい宣伝にはなってるのかもしれないし。

どっちがいいかは見る人によって変わるものだ。

どういうすきかはその人が選べばいいことだけれど、こうあるべきだ!って誰かに押し付けるのだけはちがうよね。

夕飯の話

今日の夕飯は焼肉!今から楽しみ!

外食に行くことが決まると、いつもそのお店のHPでメニューを確認してしまう。

実際お店に行って食べてる時間はおいしいし楽しいのだけど、こうやってなに食べようかなぁと考えている時間がいちばんしあわせかもしれない。

 

食べるために生きるな、生きるために食べろ

確かそんな名言があったような気がするけど、私には逆。

おいしいもの食べたいから生きてる。